伝統ある阪神の歴代4番といえばいろんな選手が思い浮かびますが、
FA制度が出来てからは生え抜きの4番というイメージがなくなっちゃった印象があります。
12球団でも阪神ほど、4番にきつく当たられる球団もないでしょうね。
キャラによって色々言われやすい選手もいましたが(新井さん笑)
“阪神は生え抜きの4番は育たない”ってずっと言われてますが他球団もそうですからね、、
人気球団なだけにそうなってしまうんでしょうね。
今回は、印象深い、阪神の歴代4番ベスト10という形でスポットを当ててみました~!
阪神の歴代4番!ベスト10から6!
まずはこの5選手!懐かしいな~
■第10位:石嶺和彦
80年代後半から90年代序盤に全盛期を迎えたスラッガー。
阪急時代には蓑田選手、福本選手などといった往年のスーパースターと一緒にプレーされています。
1985年から台頭して1990年には打点王のタイトルを獲るなどバットマンとして活躍するとオリックスになってからは不惑の大砲門田選手とDH枠を争う程の選手に成長しました。
1994年にFA制度でタイガースに移籍します。この頃になると力は衰えていましたが本塁打、打点でチーム二冠とダメ虎を鼓舞する活躍を魅せます。
しかし、スラッガーも歳には勝てず2年後に引退。
タイガースで残した数字だけみると特筆するものはありませんが、当時はFA制度ができたばかりで移籍したときは阪神の戦力をみても相当大きな存在だったように思えます。
そんな中、強豪阪急で名を馳せたスラッガーが移籍してきたのですがらタイガースファンに与えたインパクトを相当なものでしたね。
■第9位:新井貴浩
阪神時代ほど辛かったことはなかったんじゃないでしょうか?
ファンから「つらいさん」など現役時代の金本監督を筆頭にいじられ尽くし、いじられキャラとして愛されましたね。
しかし、広島時代に本塁打王、阪神時代の2011年には統一球(違反球)で苦しむ選手が多い中93打点をマークし打点王を獲得しています。
打点王を獲得と残した数字は超一流といえるのではないでしょうか。
タイガース時代も4番を打ち、タイガースに来てからは一度も20本を超えたことがないのが広い球場には適応できなかったんでしょうね。
新井さんは北京五輪野球で日本代表の4番も務めていましたが、重圧は“阪神も4番も変わらない”っていってましたからどれだけヤジられたのか甲子園にいってる人ならわかりますね(笑)
広島に戻ってMVPを獲るくらいですから、新井選手にとってやっぱり阪神メディアが強烈だったのかなと、、、
キャラで損していますが、偉大な4番だったとは思ってます~
■第8位:マウロ・ゴメス
2014年に来日したドミニカ出身の強打者。
2014年から昨シーズンまでの3年間タイガースに所属して、チームでもダントツの長打力が魅力的でしたね。
長打力も勿論ですがゴメス選手は打点を稼ぐ能力に長けた選手という印象が強く、2014年の来日初年度にはいきなり26本109打点と結果を残し打点王のタイトルに輝きました。
何か2年目以降はずっと相手投手から上手くかわされて、自分のバッティングができてなかった印象が強いですね。
ゴメス選手は好不調の波があるなどの理由でチームを解雇されましたが在籍3年間で打率は常に2割5分を超えており、最低本塁打が17本と長打力もあり、何より平均打点は86と脅威の数字です。
そう、ゴメス選手の魅力はこの打点の多さ!正直解雇されるレベルの選手ではありませんね。
やっぱり、淡白っていうのが気がかりだったんでしょうか、、
そこはチーム事情ということで仕方ありませんが、個人的にはタイガースでなくても日本球界で野球を続けてほしいなと思ってます。
■第7位:トーマス・オマリー
タイガースの歴代外国人選手を代表する高アベレージタイプの4番でしたね。
阪神愛に関してもトップクラスかなと。
もともとは3番で起用されていただけに、相手投手からするともっとも打ち取るのが難しい打者と言えるでしょう。
最近の選手でいうとマット・マートン選手と同じタイプの選手ですね。
日本に在籍した6年間全て3割をマークし、二桁本塁打を放っています。
タイガース時代の1993年には首位打者も獲得して、暗黒時代と言われた当時のタイガースにとってどれ程貴重な存在だったのか想像もできません。
ただ当時は外国人選手は第一に「長打力」「本塁打」を重視されていてオマリー選手はチームの方針から解雇されてしまいます。
当時の阪神はチーム1の打者をクビにするのですから弱いはずですね。
選手だけでなくフロント含め「暗黒時代」だったわけです。
しかも、やクルトに移籍したオマリー選手はなんと31本塁打を放った上できっちり3割をマークします。
そりゃファンも怒るわ、、
記事を書いているだけで当時のファンの無念さが伝わってきます、、
でも、いい選手だったなぁ~~
■第6位:マイク・ラインバック
伝説の外国人選手ランディー・バース来日以前ではもっともファン人気の高い選手でした。
当時では難しい頭からの豪快なヘッドスライディングにド派手なダイビングキャッチ。
外国人では難しい二桁盗塁と走塁意欲が高く「魅せる」プレイに長けていた花形の選手です。
新庄剛志選手の外国人版といったところでしょうか。
バッティングも3割を複数回マークします。
当時の江川卓選手のデビュー戦で逆転スリーランを放ったことが当時のファンの記憶に残っているのでは?
また現在は一般的となっているアイブラックを日本で最初にやった選手と言われています。
そんなラインバック選手ですが1989年に若くして亡くなってしまいました。
当時のタイガースファンをたくさん楽しませてくれただけに残念ですがファンの「記憶」にはしっかりと残っている名選手ですね。
阪神の歴代4番!ベスト5!
歴代の4番ベスト5はやっぱりこうなりました~
■第5位:藤村富美男
プロ野球黎明期を支えた伝説のプロ野球選手です。
圧倒的な強さで甲子園を制覇し、できたばかりのプロ野球(当時は職業野球)に入ります。
阪神タイガースの前身である大阪タイガースに投手として入団しました。
今でこそ二刀流と騒がれていますがこの藤村選手も内野を守り初代本塁打王に輝きました。
その後本格的に内野手に転向しました。
当時は戦時中で出場できないシーズンや兵役の影響で成績の残せないシーズンがありましたが戦後からはチームの主軸として活躍します。
史上最強と謳われた「ダイナマイト打線」の中核を担い、打撃の主要タイトル記録を更新するなど驚異的な数字を残しチームを牽引しました。
この頃からは大阪の人のハートを掴み「ミスタータイガース」と呼ばれます。
プロ野球の時代を作ったレジェンドとして今もなお人々から称えられる名選手ですね!
■第4位:田淵幸一
タイガースが誇る大型スラッガー。
入団1年目から22本塁打を放ち捕手として初の新人王を獲得。
いきなり虎のスター選手となった“打てる捕手”
スレンダーだった体型も丸々しくなり、まさにホームランバッターという体型になりました。
長打力も増し、1975年には王貞治選手の14年連続ホームラン王を阻止してタイトルを獲得。
名実ともにスーパースターとなります。
田淵選手の放つホームランの飛距離、放物線が美しいとされ「ホームランアーチスト」と呼ばれました。
タイガースの中心選手だった田淵選手は1978年オフにいきなりクラウンライターライオンズ(埼玉西武ライオンズ)にトレードに出されます。
何やら、ライオンズ時代は3打数3三振した日にファンから「頑張ってください~」と言われたらしく、阪神では絶対にあり得ないエールを貰ったそうですよ(笑)
ライオンズでも1980年に43本塁打を放つなど活躍し通算474本のホームランを放ちました。
タイガースでは選手として所謂「いい時期」を過ごしただけにタイガースファンからは今でも絶大な人気ですね。
打てる捕手はやはりロマンがあります!
田淵さんに続く野手は誰?
■第3位:セシルフィルダー
在籍1年間でタイガースファンに絶大な存在感を示した「超大物」外国人選手です。
タイガースでは骨折などもあり106試合の出場ですが打率.302/38本塁打/81打点とハイレベルな数字を残します。
特に長打率はホームランキングのブライアントを抑えて12球団トップの数字です。
当然タイガースは残留を求めますが契約で折り合いがつかずわずか1年で退団となりました。
彼が凄かったのはその後です。
来日前はメジャーに定着はできていたものの出場したりしなかったりの言わば「準レギュラー」のような立ち位置でしたが、
メジャー復帰後、いきなり51本塁打132打点と大活躍し二冠王に。
ここも当時の阪神らしいといえばそうですね、、
翌年も二冠王となりその後メジャー通算300本塁打以上を打ち、メジャーでも名の知れたスラッガーに成長します。
前述した「超大物」とはこういうことです。
タイガースでバッティングの極意を掴んだのでしょうか?
当時を知る大人達は「あのセシル・フィルダーは阪神にいたんだぞ」という会話がされたていたのは間違いないですね笑
余談ですがメジャーで活躍したプリンス・フィルダーは彼の長男です。
親子揃って素晴らしい選手でしたね!
⇒阪神外国人ランキング一覧!歴代の大物助っ人がすげぇぇぇぇぇぇ!
■第2位:掛布雅之
タイガースが日本一に輝いた1985年に4番を打っていたスラッガーです。
通算でも349本のホームランを放っており藤村選手同様「ミスタータイガース」ですね。
日本一の4番ということで常に阪神歴代選手を語るときに話題になりますね。
高卒でドラフト6位入団(実際は口利きによるテスト入団)ながら1年目から一軍出場し3年目にはレギュラー定着を果たしました。
その後、3回の本塁王を獲得するなど虎の4番打者として余りある活躍をします。
優勝した1985年には打率.300/40本塁打/108打点とハイレベルな成績を残し優勝に貢献しました。
その後怪我で成績が残せなくなり33歳の若さで引退します。
他球団から獲得の意思を表面されたものの、
田淵選手、江夏選手など名選手でありながら阪神で引退することができなかったため、当時田淵さんに「お前は俺や江夏のようになるな」と言われたことが頭に過り、「引退するなら阪神」と考え誘いを蹴り引退を表面しました。
実績は勿論のこと、虎一筋で現役生活を全うしたことが今でも高い人気を誇る要因かもしれませんね。
■第1位:金本知憲
何と言ってもやっぱり1位は金本監督かなと思います!
現役時代はアニキの愛称で親しまれましたね。
FAで広島から2003年にタイガースに移籍していきなりリーグ優勝したシーズンはチームバッティングで好成績とはいえませんでしたが、
翌年から持ち前の特徴を出して4番に座りチームを牽引します。
2005年にはキャリアハイの数字を残し再びリーグ優勝に貢献します。
それから2010年の序盤まで4番に座り続け、チームトップの打撃成績を残しました。
あの弾丸ライナーでライトスタンドに放り込む打球が見てて気持ちよかったです。
またサヨナラホームランが多いんです~
怪我をしても決して休まない姿は「鉄人」としても知られFA移籍選手でありながら歴代でも最高の人気を誇りましたね。
暗黒時代を越えて、2003年の優勝からAクラス常連となった2000年代後半は常に金本選手がチームの象徴となっており弟分の新井選手を凌ぐ通算成績を誇ります。
まさに「強いタイガースの象徴」です。
現役時代に果たせなかった日本一をなんとしても監督として達成してほしいですね。
まとめ
個人的にはこの順位が妥当かなって思ってます。
4番といえば、ある程度のアベレージや長打力も必要ですが、やはり大事な場合で打ってくれる選手ですよね。
そう考えると金本監督の全盛期なんて文句も出ません。
不利な浜風があっても、左打者あれだけの本塁打を放てる選手って今後出てこないでしょう~
掛布2軍監督も3度の本塁打王と現役時代の映像を見ても凄い打球が次々と量産されていますが、ラッキゾーンがありましたからね。
今後、阪神で一時的じゃなくて、絶対的な4番を務めるのは誰になっていくんでしょうね。
陽川?
中谷?
江越?
それとも大山?
生え抜きであることを祈ります~!
この記事へのコメントはありません。